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2011-04-27 (Wed)


前回に続きですう。

Mと仙台に戻ったのは17:00前でして。まだ日も高かったの。

家に送ろうとしたら、「今日、飲まね?」と言い。

正直言って、俺は車を置いて町に出て、またタクシーで帰って来るのは面倒でした。

「んじゃオマエの家でいいから酒屋によってくれよ。あとオレは適当に帰るからよ」

けっこう疲れていたのですが。どうせ一人でも飲むのです。

Mは別に自分からその日のことについては話しませんでした。

「オマエ、いいのか?あの調子なら、父親がどうなったか一生わからないんだよ?」

「だから、そういうセンチメンタルなもんじゃなくて。別にオレの一生には一度だってオヤジが出てきたことはないんだしな」

「まあなあ」

「ただ、お袋だけじゃオレは生まれないし。親父の母親や兄弟が居て。毎年遊びに行ったのも事実だし。あおこが消えてしまったかどうか見たかったのかもしれないな」

「でも消えてたんだろ?」

「ああ、消えてしまったし、元には戻らないだろうな」

Mが帰ってからも。しばらくオレは考えていた。なんだか探しに行って何もわからないまま。消えたことだけを確認にて帰ってきたのが悔しくもあっただろう。

だけれども。

もう一回行こうとは思わなかった。

数日たって。夜に電話があった。

「明日、行きますわ!」

「は?誰が?」

「私、明日行きますう!」

「どこへ?」

「いや、だから仙台すよ!」

はねまるさんだ。

??

えと、新幹線も東北本線もまだ駄目だし。

仙台空港は3日後に再開。

「どうやってくんの?」

「車で行きますわ」

「けどガソリンはだいぶいいけど、道路は危険だよ?」

平気だと言う。

「どこに泊まるの?」

「いやあ、らこさんちの物置にでも寝られればいいです」

困った。

オレの家は3LDKだから部屋はあるのだけど。

7日の大きな余震で。クローゼットから荷物が全てでちゃって。布しくスーペースがないのよ。

急いで市内のホテルをネットチェック。ようやく空いていた部屋を二泊ゲット。

「電気工事とかあったら工具もって行くからやりますわ」とか。

「力仕事でもなんでもやりますわ」と言っていたけど。

本当は違う部分もあったろうなと思う。あくまで部分だけど。

彼が持つ仙台の友人はオレだけではない。

かなり多くの人が、ダーツバーで会って。話をして。

はねまるさんは自分の親しい友人だと思っている。

正直言って。被災地に無理矢理来て、どうこう!ってのはかえって邪魔か?という意見もあって。

それは確かだろうと思うのだ。

だから彼は、時期を待っていたのかもしれないけど。

復興とかそういう意味ではまったくなくて。

親しいトモダチが。

なんとか生きていたことを知って。

よかったな、よかったね、と酒を酌み交わすために来てくれたと思うのだ。

初日もオレがよんだ皆はとても嬉しそうだったけど。二日目もOちゃんとかM香ちゃんとか。喜んでいたよね。

本当にそれだけでいいのである。

ただオレは初日に。面倒なことを頼んでしまったのだおね。
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2011-04-25 (Mon)


はは。らこです。

タイトルは嘘で。

続きですう。


ようやく、波の音がするところにたどりつき。

道路はアスファルトが流されて途切れており。

砂や土や、アスファルトが盛り上がった向こうに。波が当たって上空に浮いているのがわかる。

「ああ、ここだわ」とMが言って海の方へと歩いていく。

なんだかオレは車に乗ったまま空を見ていたの。

目の前に自衛隊の車が来てとまった。

捜索ってさ、適当にあちこち棒でつつくわけじゃないのよね。

道路の脇の湿地帯に向かって、縦にずらりと並ぶ。

そんで右向け右という感じで。捜索する土地を向いて。

全員が少しずつローラー作戦のように、棒で土をつついて探すのである。

Mはなかなか戻ってこなかった、

砂や瓦礫を踏みながら行くと海が見えた。

沖にあるはずのテトラポットが岸に流れ着いて割れている。

その一角で。

Mは海の方を見て。

薄い髪を海風になびかせているのだった。

オレは何も言ってはいけない気がして車に戻ったの。

40分くらいして。Mが戻って来た。

「なかったよ」

「え?家が流されてたのか?」

「いや。場所がない。全部海になっていた」

「・・・・・・」

なんとか六号線に出て、新地町役場に行った。

被災者のリストがあるのかと思ったら。ぜんぜんなくて。

誰もが忙しそうに行き交っているのだ。

「もおいいよ」

「え?でも。避難先の小学校とか行ってみたら?」

「もう。いいんだ」

車に乗るとMはぼんやりとしていたが。やがて。

「腹、減ったよなあ、どっかで、飯食おうぜ!」とやけに明るい声で言ったのだ。

オレはもう。ここには二度と来ないな、と思った。

Mが思う、親戚や実の父親の存在がどうなのかは知らないけれど。

窓から流れ込む風に吹かれたMは。

やや目を細めて。

何かを諦めたような表情だった。

翌週。

またここを訪れるとは。思ってもみなかったのだおね。
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2011-04-24 (Sun)


テレビを見ていたらば、菅首相が福島のビッグパレットを訪れていますた。

昔はよく行ったものです。むろん住むのは適していない場所ですけど。

首相が帰ろうとしたらば。

「もう帰るんですか!」と抗議の声があって。

なんだか首相が平謝りしている様子が写りました。

げ!と思ったのです。

彼は。

「おらだぢだって!一ヶ月以上ここさいんだがらな!もーは!」

とゆったからです。

首相は。

「いま、もーはって、ゆいましたよね?」

「ゆってません!」

というやり取りはなく。

何事もなかったかのように謝っていますた。

テレビ画面のテロップも。

「私たちだって、一ヶ月以上ここにいるのです」

と表示され。

「もーは」は、あたかもなかったことのようになっています。

数時間後。同じVTRが放送されましたが。

映像はそのままで「もーは」の音声だけが消されていました。

他でも。

原発から逃げてきた福島のお婆さんが。

「もーは!いづになったら帰れんのっしゃ?」とゆってましたが。

テロップでは「もーは」は表示されていません。

きっと国や首相は「もーは」を認めるわけにはいかないのでしょう。

誰かに指摘されて、仕方がなく認めた場合も。

「もーはは、直ちに健康には影響しない」とかゆうのです。

実は。オレが福島の避難所の婆ちゃんに話を聞いた時も。

「仮設住宅に入ったって、家が建でらねがら終りだ、もーは!」

ときいたのですが。

さすがに。

「今、もーはってゆいましたよね?」とは聞けませんでした。

今の福島には。

「もーは」がどんどん増えているような気がします。

やっぱり。

俺たちも聞かなかったことにするしかないのでしょうかね?
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2011-04-22 (Fri)



らこです。つまんないけど先日の続きは記録として書いておきます。

前回、山本駅と書いたのは、坂本駅の間違いですね。

Mが目指していたのは、坂本駅と新地駅の間の海岸線の地域でした。

坂本駅から海岸線への道は自衛隊が閉鎖していたので、戻るしかありません。

戻ったすぐ横に左に曲がるとても狭い道があります。

「ここ行こうよ」

え?つか。農道?車一台分の幅だけで、両脇は海水がたまってんの。

「これいきどまりじゃねえの?」

「車の轍のあがあるからいける」

Mが強引なので行きました。オレはこんなオフロードを走ったのは初めてでびびりますた。

「おい、これどうすんの?」

橋があった。橋と言ってもY用水路と農家をまたぐ、数メートルのコンクリの橋。てすりもなく、両脇は崩れている。

「まあ、前の車も通ったんだから大丈夫だろう」とMは言い。

みしっと。左後方車輪が沈んだけど。なんとか通過。。帰りは渡れないよな。

やや、広い舗装道路に入ってスピードをあげたけど急停止。

左車線のアスファルトが消滅しており。でも右車線にはどこかの住宅の二階部分が横倒しになっている。

通れるスペースはすげーぎりぎり。

もう辞めようと思ったけど。

「いけるな」とM。

車から降りて。

左ぎりぎりよう!すこし右に切って!よしよし。

って、落ちるのはオレじゃねえか!とも思い。

かろうじて、そこを抜けました。

その後、けっこう順調に進みましたが。道路を塞ぐようにして止まっている車が数台あって。

仕方がないので車を降りて進むと。

道路が落ちており。

断裂したアスファルトの下は十数メートルあって。波が砕けていたのです。

そこにいた二人は。

「これよりもっと行くのなら火力発電所から廻っていくしかないな」と言い。

オレがアスファルトの縁から下を除くと。

「そのへんは崩れるよ」

脇に廻って見ると。土があってそれにアスファルトが乗っているではなく。

10センチくらのアスファルトだけが突き出ている状態なのでした。

どうも報道ではなくアマチュア写真家のようであって、立派な望遠レンズをつけた一眼レフで嬉しそうに壊れた道路の写真を撮っているのであった。

俺らは来た道を戻って、途中のまた知らない路地へと入っていったのだった。



ああ、つまんないだろうが。また眠くなった。昼も夜も眠いという。眠り姫なのだ。

うん。眠り姫ぢゃないけど。はは。
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2011-04-20 (Wed)


はは。

被災地訪問の続きは必ず書きます。

けど。思い出すのがつらくもなり。

二度行って、被災者と話もしたわけですが。

本当のところ。

行かなければよかったという思いもあります。

別にオレが何か現地を救うようなことはできないわけだし。

はねまるさんにも同行を願ったことがいいのかどうか。

人としてみるべきだろう。とか言い訳をしているけれど。

目を瞑れば。あの光景が蘇るわけで。

ダメージがかなり大きいのです。

無論、被災者のみなさんはそれ以上にツライだろうけど。

おはってはいない。

宮城も福島も。

それなりの地区はライフラインも戻って。

んまいもの食べて。テレビみて。お笑いとかで笑って。

ぜんぜんおはってないお!

これから仮設住宅に入って。いずれ家を建てて住む?

あの。

体育館のブルーシートに座っていたバアサンと。

オレは。

住んでいる場所と時間とが偶然違っただけだよね。

なんかテレビも見たくないなあ。うん。
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2011-04-19 (Tue)


そんなわけで午前10:00には出発をして。

午前中に国道四号線を走っていた。

名取市があって岩沼市がある。

ここを左に折れれば。津波で壊滅した地域だけれど。

四号線を走っている分には何も見えないし感じない。

ここから国道六号線に別れる。

宮城から福島の浜通り。常磐線に沿っているのだろう。

途中でいくつかコンビニに寄ると。

トイレが使えなくなっている。今だに断水で。このあたりは下水がない。

つか、福島県は下水道普及は10パーセントくらいで。かといって汲み取りともちがって。

浄化槽ってタンクに入れて微生物処理をして回収なのだ。だから一気に量が増えるとまずいのだね。

両側が森林地帯の道をゆくと。別にドラマチックでもなく、自然に現れた光景。

遠くに青い海が見えて。そこからは道路沿いまで茶色の泥炭と瓦礫と車が点在している。

海に行かなくてはいけなかった。

Mの父親の実家。つまり伯父さんの家は海から数百メートルだったから。

何処から曲がればよいかわからず。六号線は一応普通の状態だけど。

盛り上がっている六号線をも超えて津波は内陸に流れたようで。

きっと六号線だけの瓦礫を取り去ったみたいで。

道を曲がれば泥をかぶった舗装が剥がれた路地しかないのだ。

山本駅と看板が出ていた交差点で左折したけど。

びびった。

うんと。道はあるんだけど。車一台分の幅。両側は田圃だったような湿地帯で、瓦礫や車が放置。

段差や穴が多くあって、ナビゲーターのMの指示がないと進めない。

道路を復興したと言うよりは。瓦礫を寄せて車が通れる幅だけの用地を空けたという感じだ。

だから元は田圃のあぜ道だったのか、舗装道路なのかはわからない。

半分斜めに陥没していたり。脱輪してしまいそうだ。

これは。きっと自衛隊車両が捜索に入るために応急処理をした道路だから。普通自動車が走るには適していないのかもしれない。

車に座った視線だと、瓦礫の中の迷路を走っているようで、方向がわからなくなる。

思えば、普段の道には、うるさいほどの案内版が立っていたのだと思う。

無論、そんなものは全て流されたらしく。外国の荒野を走っているような気分だった。

ようやく視界が開けると。なんかの建造物の残骸があって。

そこから右へ抜ける道はロープが張られ自衛隊の隊員が立っていた。

彼は、しずかに頷きながらロープの中央の「通行不可」という張り紙を指差した。

車を停めて建物らしきところへ行く。

階段だった。

階段だけが割れたガラスを輝かせて海風に吹かれていた。

それはよく見ると。ホームとホームを結ぶ駅の階段のようであり。

「これが山本駅だなあ」とMが言った。

ホームのコンクリートは跡形もなく消えており。

瓦礫とアスファルトと砂の混じった崩れた崖状の陸地に。

どおん!と波が当たって砕けるのだった。

海からの風は強いけれど暖かく。

人気のない、荒地は。

哀しいまでに天気がよかったのだ。

またつづくの。だれかよんでっかな?はは。




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2011-04-10 (Sun)


てしあきは福島から来た。

と母親に聞かされていたのだ。

けれども福島で生まれたわけではなくて。

父親の出身が福島だったたから、そう言われていたのだろう。

てしあきが生まれたのは仙台市であって。ものごころつくまでは宮城県も福島県も知らなかったのである。

てしあきは。昭和の半ば頃に生まれて貧しいながらも、気立てのよい両親の下で育った・・・わけではなく。

てしあきが母親のお腹の中にいるころ。

父親が失踪した。

てしあきの母は、当然、福島の父親の家に連絡をして消息を追ったけれど。

義母は「本当に、もうしわげねえ」と言うばかりで、どうも知っていることを言おうとしないのだ。

義母は、福島の地元の駅前の土地をあげるから、そこで暮らせと言ってくれたけれど。

てしあきの母はその話を受ける事はなく、一人で、てしあきと生きる道を選んだ。

彼女が夫を待ち続けたのか、見限ったのかは本人しかわからない。

けれど昭和35年ころは、女性が働いて子供を養うのは容易ではなかった。

クラスに何人かはいた、母子家庭の子供は。

「片親」と言われて差別されることもあり。

多くの子供は毎日同じ服や下着を来て。異臭を放つことも少なくはなかった。

けれど、てしあきは、いつも小ざっぱりとした服を着て、差別を受ける対象にはならなかった。

後に思えば、これは母が仕事から疲れて帰ってきても、寝る間を惜しんで洗濯や裁縫をしてくれたということだろうと思った。

てしあきの父の実家とは疎遠になったかと言えば、そうではなく。

父方の祖母は、てしあきと母をいつも気遣ってくれて、農作物や苺などを送ってくれた。

てしあきは、学校が休みになると父の実家へ長期で泊り込んで、年上の従兄弟たちと遊ぶことが恒例となっていた。

特に夏は浜辺まで数分という近さだったから、毎日海へ泳ぎに行き、泳ぎもそこで覚えた。すっかり浜辺の子供になっていたのだった。

30歳も近くなっていたころ。この父の実家を継いだ長兄が亡くなった。

てしあきは久々に、この海辺の家へと行ったのだった。

遊んでもらった年上の従妹は、もう40を過ぎ。田舎のオジサンになっていた。

死んだ長兄の弟・・・三男とも久しぶりに会う。

「てしあき!父親に会いたいか?隣町にいるんだぞ?」

別に会いたくはないと言った。

そもそも自分の兄の葬儀に顔を出さないのは、てしあきと会ってしまうのを恐れているのかもしれず。

生まれた時には居なかった人は。自分の中では始めから存在してないのだと思ったのだ。

これでもう、この家との付き合いも終わるだろう。

そう思いながら、また週十年が過ぎて。

父の実家の地名を久々に聞いたのは。

震災後のテレビの被害状況報道だった。

福島県新地町は壊滅状態

兄弟のように仲良くしていた二人の従兄弟たちはどうしただろうか。

自分が子供時代をすごした、あの浜辺はどうなってしまったのだろうか。

行ってみておかなければいけないような気がした。

けれど車はない。じゃあ、暇なあいつに行ってもらおう。




ということで。てしあき・・・・つまりMは、9日に用事があってあった際に。

「明日、仕事休みだから。新地に連れて行ってくれないか?」と言ってきたのだ。

「え?」オレはやや面食らった。

Mが父親の行方について、どうこう言ったことなどなかったからだ。

それに正直言って。俺は被災地に足を踏み入れるのは恐かった。

「んじゃあれ?やっぱ最後の消息を知りたいってこと?」

「つか、従兄弟らとは親しくしてたしなあ」

「んじゃお父さんは探さなくていいのね?」

「うん。まあ、ドラマじゃないから殴りたいほど憎んでいるとか、実際に会えば感動しちゃうとかないんだよね。知らない人だから」

死んだ伯父からはある程度のことだけを聞かされていたらしい。

以前は内縁の女性と二人の娘と四人で関西に住んでいたらしく。

Mの母親は自分からは籍を抜かなかったので、父は法的に正式な結婚はできないはずのだ。

けれどMはそうしたことを。母親には教えていなかった。

母はドラマのように父を悪く言いながらMを育てることもせず、かといってじっと耐えて夫を待っていたわけでもなく。

その存在がなかったかのようにMと暮らしてきたからである。

「ま、少し考えて電話するよ」

「つか、明日の朝に、今日行くぞって言われても起きられないよオレ!」

その日、タクシーで家についてすぐにMから電話が入った。

「やっぱり行ってくれ。行かなければいけない気がする」

そんなわけで、オレとMは被災地に向かったのだが。

これが日を置いて、思わぬ展開になってゆくのだった。


つづくの。はは。今回はちゃんと書きます。
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2011-04-10 (Sun)



昨日は。ブログのコメを読んだ人ならわかるでしょうが。

起きたらユカたんから電話が来て。「いつ行く?今日でもいいよ」

一階のサッシが外れて、家ががら空きなので。

待ち合わせをしてゆきました。ハチミツ君も。

サッシは部品が壊れていたので、すぐに取り付けができず。

ハチミツが慣れているので、ドライバで部品を削ったりして、ようやくサッシをイン。

二階の入り口に倒れていた和服ダンスを三人で持ち上げて治し。

屋根伝いに隣の部屋に入ってサッシを閉める。

左の部屋が空かなかったのは引き戸に文庫本がびっしり詰まっていたからだ。

なんつか、壁のパネルってよりは。古いから。一片15キロくらいある、土壁がすべて落ちており。

7日の地震も影響したんでしょうか。

「ちゃんと全部かたづけようよ」とユカたんに言われましたが。オレにもう力はなく。

んじゃ、どっかに何か食いにいこうか?ってまだ三時前だけどどっかやってんの。

駅前の焼肉やに。

久しぶりの焼肉。一年ぶりくらいかな?

牛ホルモン、豚ホルモン、甘くてんまいね。けどオレはそんな食べられず。

どうせ彼らは日当!ちか言っても受け取らないので。ここを奢っちゃおうと。


したけど支払いの段階でユカタンに圧倒されて払って貰ってしまった。はは。


んじゃあ、しょうちゃんのところでご馳走するさ、と

春八へ。

飲んで食べて。ハチミツとユカタンは先に帰った。へへ、オレって予め清算してたもんね。

と思ったら。もうユカたんはショウちゃんにお金渡してあったんだと。

こーゆーすスマートなご馳走ができないんだよなあ。

うん。オレはみんなの施しで生きておるよ。



ところで。

明日はMとMのおかあさんを連れて。福島県相馬市の新地に行く事になり。

親戚と連絡がつかず。家は流されて消えた新地駅より海側で。

いけるのかどうかもわからんが。いってくる。

平野がつづく場所だから、津波がまた来たらだめだろうなあ。

原発からは40キロ範囲でしょうかね?

実はオレは5日前くらいに、一台も並ばなくてガソリンを入れた。

他のスタンドも。誰も居ない。

「オレって、昔からガソリン欲しかったことなんて一度だってないもん!」ていう態度んだ。

けど、
今日は朝からすげかったようで。

スーパーで水や食料を買いあさり(制限ないからね)、GSは長蛇の列。

話では誰もが10リッターも入らなかったという。

そもそも皆が仕事行っている時間に長時間ならんで、ガソリン減ってないってのは。

使わねーんだよ!

ぜんいん。

大量のガソリンとカップ麺と、ミネラルウオーたー山積みにして。

金なくなって。こそこそ売ればいいのだ。

| 震災 | COM(10) | | TB(0) | |
2011-04-08 (Fri)


だこです。

眠れない。つか睡眠薬を飲む気がしねー。

いずれは書こうとおもってはいたけど。

11日の地震はやや忘れかけていた。いやな事は忘れるタチだから。

あくまで自分の脳内で完結したのだけれど。駄目な気分になった。

なのできっと無意識に忘れて明るく酒を飲むようになったのかもね。

昨夜は。ま、また余震か?てな具合で。

「あら?」だったのが。

「ややや?」

「ややややや!?」

「これまずいな!」となり。

玄関口まで逃げた。でもこれしかできない。

外に出て階段を下るのが安全かはわからないからだ。

遅れて母も出てきたけれど。

この人はもう駄目だった。

はだしで玄関前のフロアに硬直して立ち尽くしている。

「靴はいて」と言うと。

オレのつっかけ的なサンダルをはいた。

暗闇。

懐中電灯がどこにあるかは、もうわからない状態だったけど。

実は昨日、玄関の靴箱の上にオレがおいた。

てさぐりで探して、ライトを点ける。

外に出ると。

北はぷつぽつ点いていた明かりが、ばばばばっと消えていく。

西は、照明が多く見えたけれど。

暗い空に。

何度か、落雷の様な閃光が走ると。

すっと灯りは消えた。

近い場所は点いていたので。

駅前とか中央部だと思われ。

やや言葉を失った。

時間は短かったけれども。

揺れの大きさは11日をはるかに超えており。

パトカーや消防車のサイレンがいくつも聞こえ。

かすかに遠くの西の空が赤くまたたいており。

火事なんだろうなあ、と思い。

のろのろと家に入った。

もう大きなものは11日に壊れていたのだけれど。

くくっていた紐を解除した食器棚や食品棚は。すべて空いて中身が床に散乱しており。

部屋に戻るとすべてのダンボールや、がらくたが山積みになっている。

ああ、オレの部屋はこの間フッコーしたのに。

フッコーは。個人の家から始まって。細かく言えば個人の部屋から始まるものだと思う。

そこから近所や市内や県内と広がるものだろうから。

一応、無駄がないように。余震がほぼ終わった感じの時点で。オレの部屋をフッコーした。

といっても。危険な重いものやらは、元のように高い押入れに適当に押し込んだり。

ダンボールは邪魔にならないように積んだだけ。

でも、前より酷い。萎えました。

もうオレはフッコーはしねー。

けどな。

妻宅の問題があって。

11日の地震のあと。

一階な、まあそれなりにフッコーした。

でも使っていない二階は手付かずだ。

二階は、昔、妻と妹が使っていた部屋が二個あって。

妻の部屋は引き戸が開かない。

隙間からのぞくと、すべてが倒れており、なんか重い物が引き戸の向こうに倒れている様なの。

しかも壁の石膏ボードみたいなのは全て落ちており、もう全壊みたいなかんじー。

で、サッシがあいているのよね。外から見ると。鍵をかけていない場合は。地震でサッシは半分以上開いてしまう。ま、開かなければガラスが割れるのだろうケド。

雨が降れば水が入って一階まで浸水かなあ。

二階のニ部屋って窓は並んでいる。だからスゲーこわいけど隣の妹の部屋から屋根に出て窓を閉めるって方法もあるん。

けど。妹の部屋は。入り口が洋服箪笥と別な箪笥が倒れていて一切入る事は不可能であって。

もう頑張っても持ち上がりもしない。

ま、オレの力は。10キロのお米は持てるけど。20キロだと二歩、って感じだけど。

Mに協力を頼もうかと思ったけど。

ま、腰が悪いので。彼はビールジョッキの大は持てなくて、中にしてるくらいだし。

日当出せば。ハチミツとか来てくんないかなあ?

ああ、自宅のフッコーは。自治体も国も関知しないから。もーいーよオリはよ。はは。
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2011-04-06 (Wed)


もう。地震から一ヶ月になろうとしてんだおね。

あの日ほど夜が明けるのが遅かった日もないけれど。

こんなに一月がこぼれるように過ぎ去った経験もない。

こちらは、まだ寒い日が続くけれど。今日当たりは日中はやや陽射しが暖かい。

例年通りかな、って感じですね。中旬になれば桜も咲いて。20日ころが花見の真っ盛り。

東京の花見自粛はおいといて。仙台は、まあ、まずいんじゃない?てなのが普通だろうケド。

有名な花見場所としては。やや南部でミカミネ公園だろう。でもこのへんは被害は少ないし。

なんたって駅から5分の榴ヶ岡公園がメインでしょうねえ。

去年も一昨年も。オレは。ピーク時の日曜日。

朝、5;00前から場所取りをして。午後までの花見をしていますた。

きっと。今年も。いろいろいう人はいるけど。もしかして「自粛」とか看板が出るかもしれないけど。

この公園で笑ってブルーシートの上で酒を飲む人はいるにきまってるの。

オレは別に不謹慎とかはいわないけど。

ここ二年、花見に参加したのは、まあお仕事である。終了後にダーツバーで二次回やんね?ってなこともあるし。主催した春八だって実費は取っているけど儲かりはしない。来た、お友達がこれから来店してくれればいいかな?ってもんだ。

個人的には。花見的な催しは。大嫌い。

桜はとてもとても長く咲くものだから。大きな木は。数百年もたっているえものかもしれない。

毎年咲く、花の下で。集まる人だけが変わっていったのかもしれない。

前日から。豪勢ではないけれど。美味しいモノを作って重箱に入れて。

早めに仕事を終えた父さんが。日があるうちに、少しばかりの酒を持って合流して。

ややほろ酔い気分で、ふと見上げると暮れそうな青空に、花びらを風で散らす様子がシンクロしたりするんだろうか。

別に江戸時代に戻せとはいわない。

酔っ払いの集団の中に。ようやくキツネの額ほどの場所を探して。

やけに小さな青と赤のレジャーシートを敷いて。

小さな子供を二人連れたオカアサンが。子供達に小振りなお握りを与えて。タッパーを開けると。そのオベントくらいの小さなタッパーには。卵焼きと、唐揚げらしきものが入っており。
三人とも嬉しそうに微笑んで。お握りを頬張りながら桜の枝を見上げる。
小一時間もたつと。あたりをキョロキョロ見回しているスーツの男がやってきて。
妻と子を見つけて、笑ってシートに座る。その手には。やや冷めたかな?と思われる500ミリの缶ビールが握られており。でも本当は第三のビールだったりするわけで。

オレが思えるのはこんな感じ。

大震災があったから自粛じゃなくて。

そもそも。こういう場合以外は花見なんてすんな!ってことだね。少なくとも警察とか自治体に頼るようなのは駄目。

まずね。花見にダンボールやブルーシートを使うセンスがわからねえ!うんオリも使ったけど。

もうこの時点でアウトだなあ。え?ブルーシートはどこが悪いの?と思う人もいるだろが。

まず。見た目でどうしようもねえでしょ?桜と芝生の場所にあってはいけねえ!と思いません?絵

そんで「溜まり」があるでしょう?んと開催時にブルーシートの端っこにいた場合はわかりません。

高低差があるでしょ?土地には。だから。低いところは溜まるのよね。

必ず、飲みものをこぼす人っていえるからね。

そういったビールとかのこぼした液が。ブルーシートの凹みの部分に溜まるのですよ。

しかも。だれも。

この件には触れないといったように。見ない振りしてるのです。

無論、食すものも問題ですけどね。

食べ物、飲み物が現地で売っているのは別とします。彼らは儲けだけしか考えてないのだけれど別な話ですからね。

必ず居るのですね。LPガスとか鉄板を持って来て。

焼きそばとか焼肉をつくって食べるの。理解できないもん!

うんと。焼いたそばを食べたいならばさあ、家で焼いて持ってくればいいんぢゃね?

焼いた肉を食うのはいいけど。家で焼いてく
ればいいぢゃん!

そして。バッテリーで。

カラオケ歌う人も多く。

家で存分に歌ってくればいいぢゃん!

暗くなって。ライトアップってなにだお?

暗くて見えないものは。

見なくていいのである。

そもそも。自然の中であるから。闇に包まれた花を。

強引に照らして、「綺麗だろう」っていうのは。

愚劣だ。

人は。

遠くから。

桜を見て何かを思うことはあるのだろう。

だけど。

その下で。

泥酔する意味はないだろうなあ。

桜は。

妻の実家から近いトコロに。

道路を覆うように咲くだろう。

公園はないから花見はしないけれど。

道ゆく人。

車椅子を押されている人。

桜のトンネルの中を。

誰もが。少しだけ上を向いて通り過ぎる。

義母は。去年ここをヘルパーさんに車椅子を押してもらったようだけど。

最後の桜をどうみたのかな。ひらひらと彼女のの動かない手に花びらは届いたのだろうか。

これから。

仙台も。

福島も岩手も。

桜が咲くのよね。桜は。

地震や津波があろうとも。それはそれは華やかに咲くわけで。

哀しい思いをした人には。ややつらいのかもしれない。

想像はつかないけど。

大事な人がいなくなって迎えた正月に。

それを知らずに、やけに明るい年賀状を見たような感じだろうか。

来年の。

桜を、俺たち歓迎できるだろうか。
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2011-04-04 (Mon)


らこじゃす。

土曜日は飲みにいきますた。

つか。Mと会う用事があったので。

やっぱどっかで飲むってことにー。

やっぱり、ショーちゃんの春八がいいのでないかということで。

てのは。東北最大の飲食街とか言われている国分町は。

もう駄目であり。なんでかてと。

ガスがまだ通っていない。

最終バスが20:30てこともあって。

営業状態は壊滅的という噂もあんの。

一応、地下鉄は0:00まで動いているけど。途中の山の中の台原までしか運転してないし。

そこからメインの泉区へのバスは20:30で終りだから。ま、人々は、かろうじて仕事を終えた後でそうやって帰るのですね。

んなわけで。まあ飲みに来る人もいるわけもなく。飲み屋をやっている人は、苦し紛れにアーケードでお弁当売ってたりもする。

ガスも水道もない時は飛ぶように売れていたようだけど。しかもスーパーで300円くらいの弁当が1000円だお?

でも、すぐにその場で食べられるというので売れていたようだ。

多くの飲食店は、携帯ガスコンロを使って、給水もしくは井戸水を調達して弁当を作ったらしい。

一概に1000円を責められない気もする。

でも今は。水道はけっこう通っているし、ガスもOKの駅前飲食店があるから、弁当も500円くらいでしか売れなくなった。

まあ、実はMがダーツバーを辞めた後に、この市役所近くで日本蕎麦、和食の店に働いていたのだけれど、やっぱガスが駄目なので営業できないから路上で弁当売りをしているのだね。

その街に行くと。人気は少ないけれど。居酒屋とか炭火焼の店はけっこう営業している。

ただ、純粋なパブとか女性のいるようなクラブ、キャバクラは軒並みネオンが消えて。

これから、いろいろ復興とやらで宮城県にも金が落ちて、経済は廻っていくのだろうけれど。

こういった。個人の飲食業ってのは、その廻ったお金の最後のコボレタ分だけを充てにする極端に小さな受け皿なのだろうか?とも思い。

春八に行くと、予想外にカウンターは一杯で。小さな座席しか空いてなかった。一人が帰るというので、ようやく座り。

ビール頼んだショーちゃんは、いつも通り明るかったけれど。オレはなんか「大丈夫だった?」とは聞けなかった。

震災二日後にMと電話が繫がって聞いたところでは。

ショーちゃんは。震災後、店を片付けながらも、ぼーっとして酒を飲んでいることが多かったようであり。

それは気仙沼市の実家といつまでも連絡が取れないからであり。

場所が場所だけに「どうだった?」とか聞けない感じがしていたのだ。

ま、結果は。無事で家もギリギリで流されずに済んだようだけど。お姉さんは家を流されたらし。

平日にこんな来店があるかどうかは知らないけど。常連のような人は、みなそれなりに気を使っているのか、料理をどんどん頼んで。ショーちゃんは、携帯ガスコンロ一台で忙しく、揚げ物や、焼き物を作っているのだった。

やがてダーツバーの常連の○ちゃんも来て。知らない人と座敷で飲んだけど。話題はやっぱ地震のこと。

でもねえ。なんか阪神大震災のときのようだ。

批判を恐れないで言うと。人ごとだ。

みんなテレビで見てはいるけど。現地を見てはいない。

車で20分も行けば。瓦礫の荒野が見えるのだけれど。

誰も。目を背けたいのだと思う。

こういう時は。「見学してみたい!」っていう奴がいるようだけど。

きっと市民は家族や親戚が行方不明だという場合を除いて。足を踏み入れたくないのだと思う。

岩沼市出身で、名取市在住という。限りなく生存の可能性が少ない同級生から一昨日に電話があって。

ああ、オマエ生きてたの?と言ったが。彼はすでに仕事であちこち廻っており。いやでも被災地区を通るので。水に沈んだ瓦礫の大地を通ると。ハンドルを持つ手が震えると言った。

オレは、震災から三日目に駅前の中心地を歩いたけれど。

別に治安は悪くなく。アーケードの店舗前でたこ足配線で携帯を充電しながら、しゃがんでいる若者がおリ。

普段はいない路上歩行喫煙者がやたらと多いけれど。

そういった、やや柄の悪い若者もドラッグストアに整然と並んでおり。

買い物を終えた彼らは。ほかほかと照らされた陽の光の中を。

両手に荷物を持って、笑顔で歩んでいくのだった。

そこから。15分車で走れば。

多くの人が納められている遺体安置所があり。

そこから、もう15分いけば。不眠不休の自衛隊や消防や警察が行方不明捜索をしている。

無論、オレやこういった若者が現地に入っても。プロ以外は役にたたないだろう。

当時は。被災地区には、一般人は入れなかったので。避難した人しかわからないだろうけど。

やっぱり。青葉区や泉区の人間にとっては。

どうも東京の人が見るような目に近いのかとも思って。オレだけかな?

可哀想だけど。ま、人事。みたいな感じ?実際被害はあるわけで。

なんか。うす透明な壁があるような気がするのね。どうもテレビを通じてみている他地域の人の立場だよ。

みんな、その地域の知り合いや同級生の消息を探すのかもしれないけど。

ま、オレも多く居るだろう。でも見ない。萎えるから。知らないほうがいいこともあるんだ。

無論、北の区域ももう普通!てわけではない。

オレの家もガスまだだし!ま、妻宅が電気温水器だからシャワーは何度か浴びたけど。

ま、妻宅も古いので、いろいろ見たら半壊?かもしれず。つかOKかどうか頼まなくても来てくれんのかね?


ま、地盤にもよるので。オレの従妹はオレの実家にすげー近いのだが。昔は沼地とかゆって。

その地区は立ち入り禁止で家はもう駄目。

その弟の従妹は。高層の市営住宅が危険建物となって。避難所へ。

そんでえ。義捐金でなくて親戚のお見舞いってけっこうわからないじゃない?弔じゃないし。

なんかね。津波で流されたら10~30マン。

家が駄目なら3~5マン。が多いらしくて。

うちは。少なくしても。30マン!とか。

いや、金ないすけど!いろいろ修理もあっからね!

ぼんやりとだけど。

宮城県は。今回人もモノも失った。

そして残った人の勇気だってわずかだと思う。

福島の放射性物質の流出だって、避難所の人から見れば、しょうがないのかもしれないな。

隣の県だからもっと騒いでいいはずだけど。

もうね。騒ぐ人はとっくに遠くに行っているのだろう。

家族を津波で亡くして、避難所に居る人は。

今、原発の10m隣でいいから家族全員で生きさせて欲しいと思うだろう。

もう。オレはいいかなとは思っている。

昔から原発反対!といっている組織が正しくて、今になって「だからいったろ」ではなく。

阻止できなかったということもあり。

思っても何もしなかった人も多く。

かすかな希望はこれからのことであって。

それは、誰もが参加して、方向を定めなければいけないだろうなあ。

今は。ともかく最小限の被害にすることだけ。それ以外に目標なんてあんのかね?

俺たちは。結果的に原発で生きてきたわけだから。

その借金を払うときがきたわけで。

だからオレは。

反対派とかも。のうのうと電気使用してきて。ここで逃げんのか?とは思う。

そもそも反対して道理が通らないならば、それが日本だから、嫌なら日本国籍を捨てて外国に住むべきだなあ。

だから。オレの息子や娘世代は、これを拒否する権利があるだろうねえ。

議員を選べない年齢だったし。

あたりまえだ。この消えない放射性物質・・・置いたまま死ぬからあとは考えてうまくやって!

てことじゃない?

だって六ヶ所村の廃棄だって。数十年とか数百年埋めちゃう!あとはなんとかして。

てことでしょ?孫やその後の世代に丸投げって何?せめて許可を取れよ!という感じかな。

六ヶ所村は実は稼動前に入った事があんだけど。本当は取材禁止らしく。写真はないけど。
記事も書いちゃいけねえ、と数年までも圧力があんので書けないのですげー。

ま、オレは今ではマスコミではないわけで。

泣かせるようなテレビを見て涙するのがよいのか。

本当の現場を書いて方がいいのかまよいますね。

本当のことは。

とても残酷で。

とても怖いようなことが多いからね。
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2011-04-01 (Fri)


らこです。

今日は久々に車でおでかけ。

バアサン・・・ま、アタシの母ですが。ぐはいが悪くなりまして。

病院に連れていったから。

このバアサンは。地震直後からイラつくことしており。蝋燭の明かりしかない状態で。暗闇のキッチンに行って、割れ物を始末したりすんのだ。

もう全面的にピントがずれており。一昨日のかなり大きな余震でも。玄関前に避難するはずなんだけど。

棚の上の小さな植木鉢を押さえていたりするのです。もう、イライラしてぶん殴りたくなりますな。

危機感がない人は。震災ではマイナスの存在のような気がするから。

でも老人ほど危機感がなかったのだなあとも思います。

今回の死亡者と行方不明者のリストを一通り見ました。興味本位ではなくて。母の同級生の消息を得るためです。

7000人ほどのリストを目が疲れるくらい見たのですが。

70歳以上の割合がすげー多いのです。単に逃げる体力ないというよりは。アタシらよりは数十年も地震で死ぬ恐さを経験していなかったゆえの油断とも思えるわけで。

仙台市内は。三陸とは違って。高台はないのです。住宅地は、高くて民家の二階建て。かなり遠い別な地区にしか、鉄筋コンクリのビルはないので。え
もう逃げようがなかったのだなあとは思いますが。

でも。警報が出てすぐに逃げて助かった人もいましたし。年配の人が「大丈夫だから」と避難をしないので手間取って家族全員死亡ってのも多かったようで。普段の話し合いが必須だったのでしょうか。

で。ウチの母は。やっぱり余計なことをしやがって。

震災四日後に。アタシが一度帰ってから動かすと言った仏壇を。一人で動かそうとしまして。

ま、60キロ以上あるんですが。壊れた木片が親指と人差し指の間に刺さってしまったのです。

かなり出血したらしいのですが、その夜は絆創膏貼って寝たとか。

孫・・・アタシの娘がいまして、しつこく病院へ行けといったので(これがすげーしつこいの)、行ったら。いわゆる破傷風になっており。

緊急で切開手術をして六針縫うことに。

でもアタシはそれを知らず。娘が、詳細は報告しなかったから。なんでかといえば。アタシが激怒して母を怒鳴るかららしく。

ま、気づいたころには抜糸ということになっておりまして。

で。今日は何か、血圧的にグワイが悪いというので。山の上の病院へ。

もうガソリン使わないつもりだったのになあ。

買い物は歩いても行けるし。アタシは必要な郵便物を取りに別な区の妻宅へ行くくらいだったのです。

他はね。被害が酷い場所から営業店が多い仙台市に給油しに来ている人も多いだろうし。

中心部以外のお年よりは。買い物も。病院も。車は必須だろうから。

車で出かけてガソリンを使うのは、遠慮することにしてたのですが。

やっぱり具合の悪い人はバスは無理ですしね。

診察を待つ間に敷地内のスーパーにいきました。

ヨークベニマル。地元のイトーヨーカドー傘下の店。

やっぱり日本は豊かなのだと思いまして。

お米は山積みで。マグロとサーモンとホタテとタコの刺身パックが500円で。制限はあるけど2リットルの水もカップラーメンもどさどさあって。野菜も牛乳も福島さんを除けば豊富に用意されているわけであり。

入店制限もなく、並ばないで買えるということは。けっこう余ったものを廃棄するのは間違いなく。アタシたちがどれだけ、これまで食料を捨てながら生活していたということが考えられるわけであり。

今は関東や関西から物資が来ているのだろうけれど。農業、漁業の産地である東北が壊滅している状態で、日本として全国に豊富な食料を供給できんのだろうか?とか思ったりもしました。

はは。後の記事は消えたので。きょうはここまで。

ガソリンのことは書かなければいけない。他地域ではわからないだろうから。

人は。

常識を持ちながら冷静に行動する人と。

感情的にパニックになって他者はどうでもいい人に別れるように思うけど。

時と場合によって。その両者は混じりあう。

立場によって変わってくるんだろう。

アタシも変わりたくはないのだけれど。

卑怯で姑息な市民になったこともあるかもしれないな。

まだまだ。宮城は。

駄目な感じが。ありありと感じられるのですねえ。
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